20110402

「戦争の世紀をこえて」を読んでいる

③ー限定戦争という悪夢ー
勉強が足らなさすぎて、
意味が飲み込めず、想像がついていかない。
何度か同じ所を読み直してみるが・・
お隣の国なのに、全然と言っていいほど「韓国」を知らない。
70年代終わり・80年代は私はもう生まれてる。
情けない。



少し話は戻って、メモ。
森さんの話。
「メディアに煽られながら犯罪加害者への厳罰化を要求する
今の日本にも、このあたりの構造はかなり重複します」
今の自分は大切な人を奪われた経験がなく、
過剰だと思ってしまう、、犯罪者を排除しようとするところ…
一歩違えば自分も加害者または加害者の身内にだってなれる。
でも、やっぱり許せない絶望的な気持ちを想像すると、
悲しくて涙が出る。
9.11の遺族団体「ピースフル・トゥモロウズ peaceful  tomorrows」
どうやって報復したい気持ちを乗り越えるんだろう?
仏教的な考え方か?
犯罪を止められなかった、生み出した自分にも責任があるように
感じるかな? そんな社会をほったらかしに、無関心にいた自分に
責任を感じるンだ、、よ。
今の日本も世界も、自分が何もアクションしなかった事に
責任を感じる、恥を感じる。
貧困がなくならず自然破壊が止まらず、原発が増え続けるのも
それに小さくても賛同している自分のせいなのだと思う。
でも、矛盾するところは多少あっても、
決断して行動せねば。
本当に中学か高校に読んだ国語の教科書
「多面性と行動」だっけ?? あれは強烈だったなぁ。
物事には色んな「面」があってそれをたくさん知る事は大事。
だけど、それを知ってなおかつ自分で判断し行動に出さなくては
意味がないという事。知っているだけでは何もならない。
すべての面を見る事はできないし、どこまでを知るのかを、
そしてどこの面まで見て判断を下すのかを決めるのも、自分。
行動を起こすまでに自分で決める事はいくつかある。
だから責任を取らなくてはいけない、と言う事をだんだんと知った。
今の自分はあの、高校の時・予備校の時の自分に似ている。